私が今の私になれた理由

「で,家には毎月いくら入れるつもりなの?」

ダイニングテーブルの向かいに座った夫が,
私に尋ねました.

 

カリフォルニアで出会い
「これをやりたい!」と強く心を動かされ,
運命を感じて始めたレタープレス(活版印刷).
ブランディングと並ぶ,
私のもうひとつのライフワークです.

会社勤めの頃に,週末だけ,
レタープレスでグリーティングカードを
制作する活動をはじめました.

その後、週末だけでは飽き足らず、
好きなことを自分の仕事にするのだ、と
勤めていた会社を辞めました。

退職と時を同じくして妊娠がわかり,
会社を辞めたら自分の活動を
バリバリやるのだ!という
気持ちだけは持ちつつも,

つわりの妊娠期を経てそのまま出産,
そして,初めてだらけの
子育ての日々に突入.

好きなことに専念するどころか,
自分の仕事としての立ち上げは
早々に延期となりました.

娘が1歳になったとき,
保活は激戦の世田谷区でしたが
奇跡的に保育園に入園できることに.

そうして私は,いわゆる
「好きなこと」で「ひとり起業」した身
となり,私を阻害するものは
何もなくなりました.

 

ところが,
「何も形にならない」という
ストレスフルな状態が続きます.

やりたいことはたくさんあるのに
たくさん手は動かしているのに
理想のものができない.

どうやって売ったらいいか
わからない.

売れないから,
収入がない.

そんな負のループに陥っていました.

夫がプレッシャーをかけて来たかというと,
そんなことはなく,
むしろ,温かく見守ってくれていました.

子育ても,一緒にしているという感じで,
私を応援してくれていました.

でも,「何も生み出していないのに,
子供を保育園に預けている」
「結局夫の収入に頼っている」
という状況に焦りを感じていたし,

娘へも「なんだか申し訳ない」
という罪悪感も感じていました.

そして何よりも,
自信をまったく
持てなくなっていました.

 

何かを変えなくては…と
考えたついたことは
「家に入れるお金を決める」
ということでした。

締切の期日があれば,生産性があがるように,
目標の金額があれば,自分も動けるはず.
そんな思考回路だったと思います.

とにかく,保育園代だけは
自分が稼がなくては!
という焦りがありました.

冒頭の会話は,
お金を家に入れるという話を
夫に提案した時のものです.

 

頭では,それはそれは,
色々考えていました.

色々なものを見ていましたし,
そこから着想した
作りたいものも
売りたい方法も,
頭にはイメージがありました.

だから,実現できるような
気がしていました.

でも,自分に大きなものが
欠落していることに
気づいていなかった私には
それは実現できませんでした.

自分が言った金額を捻出するために,
私はどうしたと思いますか?

また別の会社に勤めたのです。

なんのこっちゃ!です.

でも,週何日かでも企業で働けば,
月に保育園代を手に入れるなんて
難しいことではありません.

声をかけてくれ,ボスとなったのは
以前から仕事をともにしていた人で,
仕事内容も自分が慣れたもので,
名の知れた企業のおもしろい
プロジェクトに関わることもでき,
新しくおしゃれなオフィスで,
時間も融通が効いて

私は,娘へ感じていた
「申し訳なさ」がなくなり,
夫との約束を「守れている」
ということもあり,

気づけば,うつうつとした気分は.
晴れていました.

 

「もう自分の活動,やめちゃおうかな」

ほんとうにそう思いました.

会社での私の仕事は,
デザインのプランナーという立場で,
前職でも長く携わっていましたし、
好きでした.

だから,これでよいではないかと.

割の合わない,
自分に自信がなくなるような活動は
もうしないほうがよいのではないかと.

どいせまだ何も知られていないのだから、
辞めても誰も悲しまない.

そう思いました.

もう,ふらりと,
線を切ってしまいそうになっていたとき,

私を引き戻したのは,
夫のことばでした.

 

「”自分で仕事をする”ってことを,
娘に見せるんじゃなかったの?」

 

ああ,そうだった

会社を辞めたいってことを相談した夜,
私の思いを語ったよね.

情熱を傾けられるものを持てたのは
本当に素敵だってこと,

カリフォルニアで出会った
レタープレスを営む女性たちが
みな輝いていて

私も彼女たちのように,
東京という地で輝きたいって
思ってること,

子供を育てるからこそ,
裁量のあるワークスタイルを
選んだってこと.

自分の好きなことを仕事にして
納得できる仕事をたくさんして,

お腹に宿った子にいつか
「ママの仕事はね」って
誇りを持って話したいと
思ってるってこと

ほかにも

そうだった,そうだった!

 

そこからでした.

私が,本当に「自分の仕事」と
向き合い始めたのは.

「そうだ,私はこれまで
企業のブランディングの仕事を
してきたじゃない.
そのプロセスを
自分でも踏めばいいんだ.」

自分にしかないユニークネス,
自分が持つ価値と強み,
それらを明らかにし

その要素を
ビジュアル化して
表現する.

伝えたいメッセージを
端的な言葉に落とし込み,
そのエッセンスを
活動の隅々まで
行き渡らせる.

私の思い描く
ブランディングの
プロセスを
そのまま実践しようと
思いました.

それまでの自分は,
何が自分のよいところで,
どんな魅力を持っていて,
それをどのように見せればよいのかも,
まるでわかっていませんでした.

私に欠落していた
大きなもの.

それは,
自分を知ること」でした.

自分を知って,
自分にしかできないことを
見つけることでした.

 

自分のことを掘り下げて行く作業は
一人では本当にむづかしいものでした.

ただでさえ,自分を過小評価しがちで
しかも,自信もなくしていた私は,
自分のことほど、わからないことはない…
そう思い知ります.

なので,「誰かに引き出してもらう」
という方法を考えました.

コーチングの経験がある親友に
定期的に対話の時間を
持ってもらうことにしました.

いくつか自分の良さや長所を
見出すようなセミナーにも
参加しました.

夫にも,両親にも,
長い付き合いの友人たちへも
インタビューをしました.

そうしたことを何度も重ねていき,
やっと,

「こういうところが
”私らしい魅力”なのではないか?」

というものが見えてきました.

行くべき方向性が
定まった気がしました.

この道を,とにかく歩いていけばいい.
あとは,かたちにしていけばいいんだと
思えました.

そのあとは必死で
作品作りをしていきました.

作品を知ってもらうために
Webサイトを自分でつくりました.

Webサイトを作るに際し,
自分が届けたいメッセージは
何かを考え抜きました.

ふさわしい梱包のあり方を考えました.

今の自分の環境だからこそ
できることは何かを考えました.

そうして段々と「ブランド」が
形作られていきました.

長いトンネルを抜けたように感じたのは,
その後くらいだったと思います.

自分を認めることができ,
自分がもっと好きになり,
自分であることが
楽しく,うれしくなりました.

自分のアイディアを
形にし表現できる幸せを
感じました.

それに反応・共感してくれる
人々がいることに
感謝しました.

そして,
家族に感謝しました.

あのとき,やめないで,
ほんとうによかった

 

今の私は,
この時からさらに時が経ち
日々進化をしています.

でも,これが,
自分の人生にとっても
とても大きな
ターニングポイントになりました.

 

しばらくして,この大きな気づきを
誰かの役に立てられないだろうかと
考えるようになりました.

その頃,レタープレスのお仕事で
よく頼まれるようになっていた
名刺の活版印刷.

印刷だけでなく
デザインも,
ロゴも,
と広がって行っていました.

でも,その前段階にある
その人の思いや価値を
一緒に引き出せたなら…

そう考えていたことが重なって,
このブランディングの
サービスにつながっていきました.

 

私が,今の私になれた理由,

それは,
自分のことを
本気で知ろうとしたから.

そして,その時
誰かに頼ったから.

自分一人でいたら
その中からきっと抜け出せなかった
そう思います.

ブランディングには
伴走者が必要です.

私自身,傍にいるコーチのような存在に,
ずっと,受け入れてもらい,
引き出してもらい,
導いてきてもらいました.

それがあったからこそ,
形にできたし,前に進めた.

今度は私が,誰かの伴走者でありたい.
そういう気持ちで,
この活動を始めました.

伴走者となるには,
長い期間を一緒に
走り抜けることが必要です.
お互いの信頼関係が必要です.

さらりとした,うわべだけの
浅いやり取りではなく
時には,あなたの思いに
食い込んでいくような
深いやりとりが必要なことも
あるかもしれない.

でも,私を必要としてくれるなら,
私が知り得る良質な情報や方法を,
可能な限り提供して

自分が遠回りした距離の分だけ,
費やした時間の分だけ,
大きな幸せを手にしてほしい.
そう思っています.

Author: yoko