活動と文化のあいだ
活動は続いているのに、積み重ならない
多くのフリーランスや、ひとりで働く人と話す中で、同じ感覚を何度も耳にするようになりました。
「成果は出ているし、仕事も途切れていない。それでも、何かを築いている実感が持てない。」
活動には必ず波があります。
プロジェクトが終われば関係は解散し、反応が良かった発信も、止まれば静かになって消えていく。仕事は続いているのに、時間や経験が一本の流れとして残っていかないような感覚があります。
私たちの多くは、ひとつの仕事に深く関わり、誰かのために考え、支えて、形にしていきます。プロジェクトが終わる頃には確かな達成感があります。
けれど次の仕事が始まると、関わる人は入れ替わり、成果はクライアントのものとして完結していく。実績は積み上がっているはずなのに、自分の人生そのものが積み重なっている感覚を持ちにくい。
誰かの役に立てている実感はある。
それなのに、「自分は何を育てているのだろう」と感じてしまう。
この感覚は、これは個人の努力や才能の問題というより、流動的なプロジェクト型の働き方が持つ構造的な特徴なのかもしれなくて、ひとりで働くという構造そのものが生み出している感覚なのではないかと思います。
活動ではなく、文化という視点
考えているうちに、私の関心は「活動」そのものではなく、もう少し長い時間軸にあることに気づきました。
私自身も、活動をやめたいわけではありませんし、成果を否定したいわけでもありません。ただ、活動そのものを目的にしなくなる瞬間がある、と思いました。
「活動」は終わるけれど、それが積み重なり残れば、「文化」になると思うからです。
文化とは、誰かが中心に立ち続けなくても続いていくものであり、考え方や価値観が、様々な関係性のなかで、時間をかけて土壌が育まれてていくものだと思います。同じ価値観を持つ人が出会い、影響し合い、それぞれの場所へ持ち帰ったりしながら、ゆっくりと続いていくもの。
目の前の仕事を続けながら、文化を作っていくことが理想だと思うのです。
そして、そうやってできた文化こそが「ブランド」と呼ばれるのかもしれないし、ブランディングとは文化を育んでいくことだとも言えると思いました。
けれど、ここでひとつの疑問が生まれます。
ひとりで働く私たちは、文化を持てるのだろうか?
ひとりで働く私たちは、文化を持てるのか?
関係性の中で育つはずの文化を、流動的な働き方の中で生き、「ひとりで働く私たち」は、どのように持つことができるのでしょうか??
活動を超えて、自分の人生の中に文化を育てることは可能なのか?
次の記事で、この問いについて考えてみたいと思います。