20年経って気づいた、私が本当に出会っていたもの

20代後半からの私は、ある目的のために、何度も海外へ旅をしていました。

それは、レタープレス(活版印刷)に関わる女性たちに出会うためでした。

当時の日本にも、もちろん活版印刷はありました。けれど、西海岸で出会ったそれは、私の知っていた活版印刷とはまったく別のものでした。

美しいグラフィックデザイン。
カラフルな色。
ふっくらとした上質なコットンペーパー。
陰影がはっきりわかるほど深く押された印刷。

それは、懐かしい技術ではなく、新しい表現として存在していました。

私がレタープレスをやりたいと思った時、そのようなスタイルの活版印刷を仕事として成立させている人を、当時の日本で私は知りませんでした。

だから私は、サンフランシスコ、ロサンゼルス、ポートランド、ニューヨーク、オーストラリアへと、新しい活版印刷を仕事にしている女性たちをたびたび訪ね歩きました。

一人で。
結婚した夫と一緒に。
そして、まだ小さな娘を連れて。

彼女たちを訪ねて行ったのは、活版の技術を教えてもらうというよりは、彼女たちの仕事の仕方や、生き方、在り方を吸収したくて通っていたのです。


忘れられない風景


出会った女性たち、みんなが素敵で、今でもすべてが私にとって宝物です。
その中でも、忘れられない光景の一つにSugar Paperがあります。

彼女たちが、LAのWestwood Villageに最初の店舗を出していた頃。
偶然、創業者のChelseaが店にいて、裏のオフィススペースを案内してくれました。

Sugar Paper, LA

そこにあった風景が、ずっと私の心に残っています。

地域のおばあちゃんがカードのアッセンブリー作業をしている。
自転車で来た学生がミシンを踏んでいる。
足元には犬が迎えてくれて、奥ではスタッフが笑いながら印刷機を回している。

彼女たちは、自分たちの住む地域コミュニティをとても大切にしていました。

毎日通いやすい場所で働くこと。子どもの送り迎えや家庭の時間を守れる範囲でビジネスを広げること。それを、意図的に選択していました。

地域に雇用を生みながら、家族の近くで生活する。その姿に、私は強く心を動かされたんです。

小さな仕事場、そして、地域とつながった雇用。手仕事、生活の延長線にある創造、そして、そこで生まれた商品が世界中へ飛び立っていく。

こんなスモールビジネスを、日本でやりたい。私はその時、今でも思ったのを覚えています。


私は「活版で成功したい」と思っていた

20代にレタープレスに出会ってからずっと、活版印刷でビジネスをする。活版でブランドをつくる。そして、活版で名を成せたら、と思っていました。

全然思うように行かなくて、でも諦めきれなくって、試行錯誤を繰り返し、別の仕事をしながらも続け、気づけば15年以上が経っていました。

そして去年。
「もう一度、レタープレスのグリーティングカードのブランドとして存在させる」と決めて新商品を作り、そのきっかけにすべく展示会に出展しました。
そこから再度、新たなスタートを切るつもりでいました。

展示ブースの様子

展示ブースの様子

長い時間をかけて、さまざまな縁があって、ようやく辿り着いた瞬間でした。

エネルギーを出し切って、山を登り切った。でも、そこで見えた景色は、私が思っていたものと違いました。


展示会のあとにわかったこと


展示会のあと、はっきりとわかったことがあります。

私はカードをたくさん作りたかったわけではない。活版印刷を商品として成功させたかったわけでもない。

私にとって活版印刷は、思いを表現するためのものでした。

そして本当にやりたかったことは、印刷物を作ることではなく、「思いを形にしたい人を支えること」だということに気づきました。

思い出の中に残っていたもの


当時の私は、活版印刷という印刷の面白さや、紙やデザインの美しさに夢中で、それがすべてだと思っていました。

けれど、今も私の心を捉え続けているのは、お店の裏の事務所と、そこを支える地域の人たち、そこの空気感、犬がいる風景、笑いながら働く人たち。

彼女たちのスタイル、暮らし方、生活のバランス。つまり私は、そこで生まれるカルチャーに、文化の風景に、心を奪われていました。


好きなことを仕事にするとは、成功することではなく、文化を営むことなのだと。

当時の私はまだ言葉にできなかったけれど、
どこかでそれを理解していたのだと思います。

なぜ20年もの間、気づかなかったのか?


振り返ると、不思議に思うのですが、あれほど強く心を動かされた体験があったのに、なぜ私は20年も、本当にやりたかったことに気づかなかったのだろうかと。

理由は、今ならはっきりわかります。

私はずっと、「形」を目標にしていたからです。

活版印刷でブランドを作ること。
商品を持つこと。
作品を発表すること。
名前を知られること。

どれも間違いではないし、むしろ自然な目標です。でもそれは、私がアメリカの西海岸で受け取ったものの「外側」でした。

あのとき私が感動していたのは、作品ではなく、カルチャーの風景であり、彼女たちの生き方でした。

けれど社会の中で仕事をしようとすると、いつも「成果」や「肩書き」や「商品」を評価される。

だから私は、無意識にこう考えていたのだと思います。

「活版印刷を仕事として成立させなければいけない。」
「ブランドとして成功しなければいけない。」
「何者かにならねばならない。」

本当は、違ったのに。

私はずっと文化に惹かれていました。けれど文化は数値化できないし、完成形もない。だから気づくのに時間がかかったのだと思います。

今度はブランディングで「何者か」になろうとしていた

もうひとつ、気づくのに時間がかかった理由があります。

その15年の間に、私は活版印刷だけでは生きていけないと思い、ブランディングの仕事の柱を作りました。そちらで少しずつ仕事として成立し、生活も成り立つようになっていきました。

そうしたら今度は、ブランディングの世界で存在意義を求め始めました。

当時、日本では個人ブランド向けにブランディングとデザインを専門にする人はまだ多くありませんでした。もしかしたら、何らかのポジションを取れるかもしれない…そんな気持ちも正直あったと思います。

ブランド講座の様子

ブランド講座の様子

けれど気がつくと、日本にも活版をする人が増え、個人のブランディングを仕事にする人も増えていきました。

もっと上手い人がいる。
もっとすごい人がいる。
もっと若い人がいる。

そう思う自分がいました。


私がずっと求めていたもの


今振り返ると、私はずっと同じことをしていました。活版印刷でも、ブランディングでも「何者かになろう」としていた。

でも、本当に惹かれていたのは、誰かより優れた存在になることではありません。人が集まり、関係が育ち、そして続いていく、そういう場そのものに私はずっと、心を動かされていたのだと思います。

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Monthly Press「翻訳するという役割について。」2026年4月号