「本当の私は何者なのか?」という問いとの付き合い方
本当の私は何者なのか?という問い
「私は何として生まれたんだろう」
「私の使命は何だろう」
「天職は何だろう」
そんなことを考えること、ありませんか?
私は、ある時期、ずっと考えていました。
きっとどこかに正解が存在していて、それを見つけられれば迷わなくなるような気がしていたからです。
だから自己理解をしようと、いろんな本を読んだし、YouTubeも見たし、いろんな問いに向き合いました。自分自身に今一度、ブランディングのプロセスを適用し、自らの「WHY」を掘り返しました。
やってみたから分かったこと
私はたぶん、「本当の自分」という完成形を探していました。
私にしかできない役割を手に入れて、迷いなく存在したい!そんな気持ちだったと思います。
でも今思うのは、実際には、「本当の自分」のようなものは最初から決まっているわけではなかった、ということ。
例えば実際の話で言うと、
私は、2009年に活版印刷によるグリーティングカードのレーベルを立ち上げました。そこで、自分自身を表現したいと思っていました。
成功しているとはいえないまま、他のこともやりながら15年くらい経った時、もう一度そこに集中して、立ち上げ直そう!という機会が訪れました。
なので、ほんとうに忙しかったし、大変だったけど、締切に向かって喰らいつく感じで、頑張りました。
その気持ちは本物で、達成感があったし、「なんとかやりとげた。最初のスタートラインに立つための準備を整え切った。」そして、「ここからスタートするぞ」というような気持ちでした。
けれど実際にやってみると、お客様との対話や周囲との関わりの中で、少しずつ見えてきたものがありました。
私は作品を作る人になりたかったのではないかもしれない。
活版印刷そのものがやりたかったわけではないかもしれない。
むしろ私は、人が思いを形にするプロセスや、誰かが何者かになっていく姿に心を動かされるのだと気づいたのです。
これは考えているだけでは分からなかったことでした。
やってみたから、いや、やり切った感覚を持てたから、分かったことでした。
実際に山を上り切ってみて初めて、その向こう側の景色を知ることができました。
プロセスを100日連続投稿していた時のInstagramアカウント
自己理解は、内省だけでは完成しない
最近思うのは、自己理解は内省だけでは完成しないということです。
自分を観察する。
問いに向き合う。
言葉にする。
誰かと対話する。
それはとてもとても大切なプロセスです。
それがないと始まらない。
けれど、それだけでは足りない。
その先に行動が必要です。
表現してみる。
発信してみる。
仕事にしてみる。
誰かと関わってみる。
自分がアクションを起こすと、何かしらのリアクションが必ず返ってきます。
現実からのフィードバックです。
そのフィードバックによって、自分が思っていた自分と、本当の自分とのズレが見えてきます。そしてまた自己理解が深まる。
人は、「自己理解 → 表現 → 対話 → 再発見 → 自己理解」という循環の中で育っていくのだと思います。
だから自己理解の目的は、変わらない答えを見つけることではなくて、自分自身との対話を続けることなのではないでしょうか?
答えは行動した先で更新される
もし今、「私は何者なのだろう?」「私の使命って何なんだろう?」と答えを探している人がいたら、伝えたいことがあります。
答えは考え続けた先にだけあるわけではない、ということ。
答えは、行動した先で更新されていきます。
だからまずは今の自分が惹かれるものを選んでみる。
そして、本気で行動してみる。
その選択が自分にとっての正解かどうかは、後にならないと分からないかもしれませんが、やりたいと思い、やったことに間違いはなくて、必ず意味を持つ。
そして、その選択の積み重ねこそが、自分らしい人生をつくっていくと思います。
これまでの選択の積み重ね、これまでの自分がやってきたこと、それを振り返った時にそこに描かれた軌跡の形こそ「自分のスタイル」であるし、「自分らしさ」なんだと思います。